月別アーカイブ: 2014年10月

人に学ぶ第4回~カリスマインストラクター都丸律子さん~

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こんにちは。
人生に花咲きコーチYUIです。

「人に学ぶ」は、魅力あるリーダーに突撃インタビューをさせていただき、
お伝えするブログです。
成功を導き出す考え方、人との関わり方、行動など、その人が歩んできた生き方の
エッセンスを伺いながら、今を懸命に生きる私たちがよりよく生きるヒントを見つける「何か」につながればと思い、お伝えしていきます。

リーダーの定義。
大事な要素のひとつに「覚悟を決める」「自分とどうつながるか?」が挙げられると思います。
自分とうまく付き合い続けることは、リーダーとして、とても大事なことではないでしょうか?

今回、登場するのは、スポーツの世界で第一線で活躍し続けるカリスマインストラクターです。
スポーツは結果の世界。勝ち負けが明確に、その都度、現れる世界です。
常に勝負の世界では、自分とどう付き合うか、自己管理を常に求められ、常にその結果に向き合わざる負えないと思います。

エアロビクスの世界においては、クラスに何名参加しているかが存続の評価指標となります。
そうした常に人に足を向けさせ続けるために取り組むるリーダー、
カリスマエアロビクスインストラクターの都丸律子さんの話をぜひお読みください。

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都丸律子さんに、「肩書きは伺ったところ・・・
「日本体育協会公認スポーツ指導者」
「群馬県エアロビック連盟理事」
「某大手スポーツクラブサポートアドバイザー」
「全米アクアエクササイズ協会認定インストラクター」などなど、
ご本人も思い出せないくらいの様々な資格を持ち、役割を担っている方です。
直近では、「シナプソロジーアドバンスインストラクター」の資格取得など、
新たな挑戦もし続けていらっしゃいます。
また、時に聴衆の前で講演を求められたりと、ジャンルを超えて進化し続けている方です。

長年、ライフワークとして週20本のレッスンをこなし続け、時にインストラクターのオーディションの評議員を努めたり、プロ向けのエアロビ大会のリード役をこなしたりなど、華やかに第一線で活躍し続け、ファンクラブまである、魅力あふれる人です。

私も、エアロビ大好き人間でウン十年続けています。
素敵なインストラクターのレッスンもたくさん受けてきましたが、
ずっと同じ土俵で輝き続ける人は、ほとんど見当たりません。
考えるほど都丸律子さんは、突出しているインストラクターなのです。

なぜ、ずっと、続けているのか?
なぜ、唯一無二であり続けられるのか?
なぜ、人を魅了してやまないのか?

律子さんのおはなしを伺いながら、特にご自分との付き合い方、向き合い方は、とても学びになりました。

夢を現実に引き寄せたい、今、壁にぶつかっている、自信がイマイチなどなど、未来を引き寄せたい方に
ぜひ読んでいただければと思います。

 

その気にさせる人

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律子さんは、グンゼスポーツクラブ前橋前橋テルサフィットネス、前橋市民向け講座などで
常設レッスンを長年提供し続けています。
時々、雑誌に掲載されたり、なんと県対抗イベント「スポレク」では群馬県の担当監督も努めたりと
その活躍は多彩です。

佇まいは、クールで淡々としている印象ですが、会話はフレンドリーでユニーク。動きは優雅で格好良い。
相反する魅力が持ち味だなあと思っています。
例えば、レッスンの最中、ストレッチを促すときなどは、ただ「手を伸ばしてね」ではなくて、
「待って。待って~って、手を伸ばしてみて。ほ~ら、あと少し、もう少し先に好きな人がいるよ」
なんて言うのです。
意外なセリフに乗せられて、参加者は、懸命にカラダを伸ばそうとしてしまいます(笑)
ハイパフォーマンスでは、クルクル回したり、ハードに動いていっても、
ユニークでしっかりとストレッチ指導していただくおかげか、どこかが痛くなったり、故障したりしません。
そして、プログラムは、ちょっと難しいけど、出来ると楽しいので、目が離せなくなります。
律子さんの美しい動きに思わず引き込まれて、真似しているうちに
スタジオ全体がひとつの生き物みたいに、同じ動きになっていく感じです。
難易度別のクラスの目的に忠実で、かつ、参加者を引き込んでいく手腕は、
まるで、オーケストラのコンダクターみたい!と思いながら、
面白さ、優美さに毎回、引き込まれていきます。

そんな律子さんの人生の軌跡、お読みください。

 

軌跡~ 真面目で活発なお姉ちゃん

(ここからは1人称。律子さんの語りでお伝えします)

私は、前橋生まれ。長女です。兄弟は5歳下の弟がいます。
第1子で健康優良児で生まれ、近所に祖父母宅もあり、可愛がられて育ちました。
幼少時は、賑やかな家族でしたが、大人ばかりでつまらなくて、近所に子供が歩いてると、
話しかけては、友達になったりしていました。
だから弟ができた時は、とても嬉しくて、可愛くて、よく一緒に遊んでいました。

小学生低学年の頃は、遠くまで散歩に行ったり、川原や公園で時間を忘れて夢中になって遊んでしまったりで
好奇心旺盛で活発な子供だったと思います。
ドッジボールや陸上が得意で、運動は良くしていましたね。
習い事はお習字とピアノ。
お習字は8年続けましたよ。
でも、ピアノは、どうしても弾けない曲があって、なんだか気持ち良くなくてね。途中で挫折しました。
可愛い服にあこがれて、好きだったりもしました。
いろんなことをしたかったのかもね。

その後、祖父母宅が引っ越して、家族だけの生活に変わり、ライフスタイルが一変。
両親は仕事が忙しくて、運動会も授業参観もあまり来ませんでした。
親が恋しい年頃でもあり、寂しい思いも感じていました。
当時を振り返ると、こどもながら「しっかりしなければ」というい気持ちがあったのかもしれません。
とはいえ、父は、明るく、楽しい人で、寂しい思いも包み込んでくれる人でした。
父は56歳で他界。ずっと、励まし、支え続けてくれたとても良き父でした。

思春期のころは、友達とよく出かけていました。
反抗期は普通にあったなあ。明らさまに先生にも出していましたから。
まあ、素直に反抗期だったかもね(笑)
両親は、思春期は厳しかった。
門限もあって、夜、遅くは出歩けず、うっとおしいなあと、思っていました。
親のいいつけには従っていて、反抗しつつも、自分に非があると言い返せなかった。

おばあちゃんはとても優しく、常に人の心遣いを忘れない人で、私にとっては理想の女性でした。
一緒に過ごす時間のなかで本当にたくさんのことを学びました。

子供時代は、結構、気が張っていたかもしれません。
だんだん、本当の自分になっていたんじゃないかなあ。

でもね、子供の頃から決めていたことがひとつあります。

自分がしたいことを仕事にして、生きていこう。
自分が好きなことをして生きていこう、
何故か、ずっと、そう強く決めていました。

高校卒業後は保育系専門学校へ。

当時から、絶対に自分の好きなことを職業にしようと思っていました。
でも、まだ、やりたいことが決まってもいないのに、就職してはいけないと思いました。
その信念だけは、常にありましたねえ。

そこで、とりあえず、就職を回避するために、とにかく専門学校に行こうと思って、
親を承諾させるために保育学校に行きました。

そして、ピアノとの再会。
受験もあり、また習い出しましたが、この時に教えてくださった先生が素敵な人で
「この人に習うと、こんなに早く弾けるようになるんだ」と実感しました。
おかげで、とても頑張ることができて、その甲斐あって学校代表になりました。
ただ、発表の場面では、緊張してあがってしまいます。
そこで、思いました。
「実力が出しきれなくて失敗したら、そんな馬鹿らしいことはない」
そう思えるための練習と、努力を思い返し、
自分を信じようと、確信することができたのです。
結果は、緊張から解き放たれ、ミスすることなく弾けました。

それから、ジャズダンスを始めました。
親から見ると、ダンスは良いイメージがなかったので、
「学校でリトミックしてるから必要なの」と、親を欺いて説得して習いだしました(笑)。
習い出すと、とても面白くて、続けながら、仕事はピアノかダンス関係がいいなあと                  思うようになりました。

エアロビクスとの出会い

卒業後の方向性は、ダンス関係の仕事をしようと決めました。
そのころ、エアロビクスがアメリカから上陸しましたが、当時は、器械体操みたいでした。

「エアロビ、教えてみない?」という話を師事していた先生からいただいて、
本当はダンスがしたいのだけど、まあ、いいかな・・・くらいの気持ちで最初は始めました。
公民館とかサークルなどでしたが、体験してみると、あちこち出向くことが楽しくて、
自分には向いているなあと思いだしました。

ただ、いきなりスタートしてしまったために、常に手探りの連続で、
楽しかったけれど、とにかく自信がありませんでした。
私って、電化製品でも取説は読みたいタイプなのです。
読んで基本をしっかり、把握したい。
いじってわかろうというタイプではなくて、着実に分かっていじりたいタイプです。
なので、手探りのエアロビクスに、どうしたらよいのだろうと、困りましたが、
自分で何とかするしかなく、当時、都内でレッスンを受け続けて懸命に努力しました。
22,3歳頃です。

 

結婚、そして、全力で仕事を始める

そして、25歳で結婚。
家庭生活が始まってみると、家事は何もできないことがわかり、仕事をセーブして家事に取り組みました。
のめり込むタイプですので、家事もだんだん楽しくなっていきました。
そうした中、再び仕事に意識が向きだしたのは、20代後半くらいから。
そこから、仕事を再開しだしました。
その間、エアロも体操みたいな型から振り付けが主流になり、好きな方向へ変わっていったので、
資格をとったり、研修に行こうと意欲が増し、より真剣に向き合うようになっていったのです。

でも、悩む時もあります。
そんな時、仕事仲間から「○○のオーディション受けに行かない?」なんて声がかかる。
そこからまた活路が拓けていきました。

そのころ、こう思いました。
自分が望んでいると、道が拓ける。
そして、必ず叶う。
根拠はないけれど、当時も今も、信念として思っています。

そして、様々な人に師事してみて、気づいたことがあります。
一流の人に習うと、5年やってできなかったことが3ヶ月でできるようになる。
ピアノの先生もそうだったけれど、この人に習うと、こんなに早く弾けるようになるんだ、
という実体験が教訓にもなり、そういう指導者になりたいと思いました。
参加してくださった方がなるべくわかるように、体がちゃんと使えるような指導者でありたいと今も思っています。

懸命に仕事と向き合う~転機その1~

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そこからは、仕事。仕事。仕事。
仕事中心で、仕事関係以外の友人と食事に行く余裕もありませんでした。

とにかく、レッスンに来てくれて、みなさんがニコニコしているのを見ていると私も元気になる、
プラスの連鎖をどう作り出していけるのか?その繰り返し。

でも、たまには息詰まることがある、楽しくない、うまくいかなくなると、
勉強会に行ってみようかな?と思って、夢中になって、いろんなところに学びに行く。
レッスンもすごく多く、インプットもすごくしてきました。

ただ・・・
自分としては、普通なんだけど、限度があるんだと、ある時、思い知るのです。

ある日、息が吸いづらいなあと思うことがありました。
遠いところに仕事に行った帰りに息苦しくなって、運転中でしたが「死んじゃうかも・・」と、危機感を感じたのです。そして、病院に駆け込んでみたら
「過換気症候群」。                                                              過呼吸と診断されました。
医師から「心の病気だ」と言われたけれど、全然ピンときませんでした。
けれど、翌日も息苦しさがなくならず、全く無自覚なまま、精神に効く薬を処方されたのです。
当時、最も忙しい時で、仕事は続けていたけれど、その合間は家に帰ってソファーに横になっていました。
そのうち、太陽の光が嫌で、カーテンも開けられなくなっていきました。
とにかく仕事も、家事も、完璧にやらなければいけないと、思っていた時でした。
実は、それ以前も、全身にじんましんが出たことがありましたが、あまり気にしていませんでした。
さすがに、この出来事は、無理すれば、カラダが反応するんだと思い知らされ、自覚するようになりました。

それがきかっけになって、全て、完璧にやろうという思いを手放すようになったのです。
好きなことだけする。
嫌なことはしない。
自分の心に正直でいよう!と、思いました。
全てをやろうとするのを手放すきっかけになり、自分らしくあろうと決めた出来事でした。

今、仕事先で、担当者から「りっちゃんは直球だから、わかりやすくって良いね」とか、
受講生から「先生は媚びないから、そこが良いね」なんて言われます。

さらに自分らしくあろうと、思うようになっていった結果かもしれません。

同窓会にいってみようか・・~転機その2~

仕事,仕事で走り続けていた頃って、自分の人生は,仕事だけでした。
無茶がたたって、少しずつ変化していきましたが、それでも、女性同士でランチに行ったり、
お喋りしたりすることは皆無でした。とにかく仕事関係のつきあいばかりだったのです。

そんなある日、4年に一度の同窓会のお知らせをいただいて、ゆとりが生まれたのか、余裕ができたのか、
ふと、行ってみようかなあと思いました。
インストラクターになって以来、初めてのことでした。
参加してみると、自分が全く経験しなかった楽しい時間であり、仕事以外の付き合いも
とても大切なのだとよくわかりました。

その時の体験は、第2の転機になり、今は、より自分らしく、バランスを保っている感じです。

次回は・・・

律子さんの生きた軌跡を伺いながら浮かんだ言葉は「猪突猛進」
自分のゴールを明確に定め、様々な出来事が起こる中で、より前進するためにどうしたら良いのか?
ひたすら取り組み、懸命に頑張っていた時代から、さら柔軟に自然体になっていくことの大切さを
とても感じました。

まるで物語を聞いているようで、人は変化し続けるのだなあと思います。

次回は、律子さんの考え方。向き合い方。
そして、そこからうみ出る行動語録をお伝えしていきます。

 □ ものさしは「すき」か「嫌いか」

□ 「決める」ことと「決めたい」の違い

 □ 自分と向き合う

 □ 自分を信じる  などなど・・

清々しいくらい、本当に直球な律子さんのお話。                                                  体験から生み出されるお話は、みなさんの心のストライクゾーンにバシっと入ってくると思います。

乞、ご期待ください。

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