人に学ぶ 宇田榮二さん
こんにちは。人生に花咲きコーチYUIです
「人は体験したことに耳を傾ける」といいます。
実体験の話はそのくらい、人の耳を開かせ、惹きこむチカラがあるのだと思います。
「人に学ぶ」は、魅力あるリーダーのかたたちに突撃インタビューをさせていただき、お伝えするブログです。
考え方、人との関わり方、行動など、その魅力のエッセンスを伺い、お伝えしていきます。
第2回めは、有限会社テクノ 代表取締役の宇田榮二さんです。
安心感を創り出す人
宇田さんは、いつお会いしても、お洒落で穏やかな笑みを浮かべているダンディーな方です。
私が入会させていただいた異業種交流会Be-net21で、会の代表も務めています。
入会当初、緊張して参加していた私に、さりげなく接してくださり、
おかげさまで徐々に会に馴染むことができました。
また、同じ干支と伺い、同じ年の気安さも手伝い、親近感を感じておりました。
ところが・・・。
ひと回り上の同じ干支!と、判明。
でも、どう見ても、どう話しても、同じ年にしか見えないし、感じないのですが。
常に柔和な表情でさりげなく相手を尊重し、居心地よく接してくださる。
全く「上から目線」を感じさせない雰囲気は、さりげなさの達人かもしれません。
一方、きちっと、リーダーの責任を全うしていらっしゃる。
メンバーもリーダーが多い集団ですが、みなさん、自分らしく楽しく自立的に活動しています。
人生を楽しもうとする意欲、姿勢。
そして、人生のパートナーは30歳下の美女!
知れば知るほど、魅力的で不思議な感じ。な、男性です。
宇田さんのおはなし、特に世の独身男性に読んでいただけたらなあと思います(笑)
軌跡その1 誕生~学生時代
誕生~学生時代
誕生時は、母が産気づいて近所の助産婦さんのおうちに行く途中で生まれちゃったのだそう。
おうちは、大きな農家。4人兄弟の末っ子。3世代同居。ときに他人とも一緒に過ごしてきた
幼少期、兄姉に怖い話をされては、よく泣いていた。
年の離れた兄姉、祖父母、出稼ぎの人たちと、飲食をともにしたりして
いつも10~15人位の人たちと一緒で、大人に囲まれて育った。
記憶にあるのは、当時は、やることもないので、周りの人がしていることをよく見ていたことと、
大工をしていたおじさんに将棋を教わり、定石がある事を知り、夢中になっていた。
人とは、どう付き合うのかなあ?などと、考える生意気でシャイな子供だったかなあ。
小学校高学年あたりから、少しずつ、母に言われたのは
「中学生になったら自分で何でもするんだよ。お前は、長男じゃないんだから、
自分で生きていかなければならない。他人の世話になるんだからね。
何しても良いけど、警察ざたになったり自分より弱い立場の人を困らせることはしないでね」
中学生になってからは、弁当も洗濯も自分でした
(長男は作ってもらっていたけど)
中学時代は、結構奥手で、男女関係なく、誰とも意識せずに付き合っていた。
勘違いされて年下の女の子が手紙をくれたりもした。
異性として意識しなかったので、どんな子でも同じように接していたからだと思う。
団塊の最後の世代で、常に生存競争。
高校入試も3.5~5倍などの倍率で、中学の先生から、「お前はダメだろう」と、言われた。
けど、自分だけ、試験が受かった。
悪運が強いんですよ。後で聞いたら補欠で受かったんだって。
高校時代、それまでは、背が小さかったけど高校で約30センチのびた。
朝5~8時まで、魚市場でせりの準備をするアルバイトと、実家で、バイトをしていた。
当時、実家がガソリンスタンド経営をしていて、資格をとってバイトしてた。
国家資格なので、ちゃんと大人と同じバイト料もらって、資格を取るとお金になると知った、
初めての経験。
で、もらったお金で、写真が趣味だったのでカメラや現像する機械を買っていた。
学校では、科学研究クラブで、実験したり、化学反応を起こしては遊んでた。
あとは生徒会の機関紙を創る活動をして、他校に取材しに行ったりした。
当時は、県内の高校生徒会が集まって、一緒に活動したり、協同して文化祭などもしていたんだよ。
振り返って見ると、様々なジャンルの人とつながって、色々な人と友達づきあいをしていた。
番長クラスともつながっていたりして、ケンカの仲裁役もしたよ。
今から思うと、異業種会みたいだね(笑)
そして、おふくろは17歳の時に先に死んじゃった。
思えば、自分がいなくても困らないようにしてくれたのかなあと思う。
で、今も、掃除も洗濯も料理も苦じゃない。
会社員~起業、現在
卒業後は住友化学に入社。
会社を受けるときに、先生から「お前、高校入学時は補欠で入ったのになあ」と感慨深げに
言われた言葉は今でも覚えている。 .
入社後は、中間幹部候補として3年間教育を受けた。
現在ある基礎知識の90%は、その時に学んだと、今も感謝している。
けれど、5年間在籍したが、当時は、光化学スモッグなどの環境汚染がひどく、
こんなところにいたら死んでしまうと思い、退職。
退職後は、Uターンし、アルバイトなど経て、地元企業に入社、24年間在籍。
子会社として、設備部門をゼロから立ち上げ、創りあげ、成長させた。
最初は、某大手メンテナンス会社に顧問料を払い、ホテルの仕事のアウトソーシングを学んだ。
今では、当たり前のトイレの紙を△に折るなどは、当時は画期的なことだった。
その後、某大手ホテルとご縁があり、何十年と設備担当として常駐させていただいた。
長らくいたため、社員だと多くの方が勘違いしていたほど。
設備の仕事だけでなく、ホテルマンのサービスなども大いに学ばせてもらいつつ、
揺るぎない信頼関係を築いていった。ホテルの皆さんが社員旅行に行った際など、
ナイトマネージャーとして総権限を持たせてもらったりした。
そんな順調満帆なあるとき、自社で承服できない事案が起こり、イエスマンばかりの中、
反対したのは自分だけだった。
それを気に退職。
そして、退職から2ヶ月後、
有限会社宇田テクノを起こし、現在に至る。
宇田さん、起業以来、営業したことがないのだそうです。
前職とは、一切かかわらない。ゼロから仕事を取っていこうと決めて、スタートしましたが、
蓋を開けてみれば、以前、一緒に仕事していたお客様の社員さまとか、様々な人たちが
新たな仕事を紹介してくれたのだそうです。
もちろん、ご縁を作ってくれた仕事のその後は自助努力はしています。
そうして人に助けられ、ご縁をいただきながら、成長曲線にのり、今に至っているのだそうです。
宇田流ベースライン
そんな「宇田流仕事のベースライン」を勝手ながらまとめました。
次回は、宇田さんが信条とし、実践していること、仕事に向かう考え方、人との接し方、
などをお伝えしていきます。
☑ 人は天狗になる
☑ ならぬものはならぬ
☑ 全部、教える
☑ NOと言わない
☑ 考え方
☑ モチベートする