人に学ぶ第3回 Sue Stroblさん その1

LINEで送る
Pocket

こんにちは。人生に花咲きコーチYUIです

「人に学ぶ」は、魅力あるリーダーに突撃インタビューをさせていただき、お伝えするブログです。
考え方、人との関わり方、行動など、その魅力のエッセンスを伺い、お伝えしていきます。

今回は、抗えない宿命を味方に、今を生ききるリーダーの登場です。

第3回めは、Sue Stroblさん。NewYork在住の日本人女性です。

Sueさんは、人をその気にさせ、やる気にさせる。そして、頑張ろうという思いに繋がらせる、すごいモチベーターです。
知的でエレガントな物腰とパワフルな迫力に、グイグイ引き込まれ、あっという間に私もSueさんのファンになりました。
その魅力は、単にやり手に営業ウーマンだからでは、勿論ありません。
Sueさんの発する言葉を聞いていると、魂から発している言葉だと思えてならず、私の心の深い部分で共振を起こしました。
そんなSue Stroblさんの考え方、行動のエッセンスを伺い、お伝えしていきます。

clip_image002

 

心を揺さぶるモチベーター

Sue Stroblさんは、モリンダ社が提供する「ノニジュース」を多くの人に広めようとグローバルに活躍している女性です。NYを拠点に、世界中を飛び回っています。ご主人はドイツ人。全世界に40万人社員のいるグローバル企業のアメリカ現地法人の元CFO。お嬢さんはアメリカ屈指の大学院で博士号取得し、社会貢献をしている才媛。写真はリチャードギア氏主催のパーティーに招かれた折のツーショットです。他にも著名な経済学講師のお姉さまとの長年にわたる交流や、時々日本のTVにも登場する、アメリカで最も有名な日本人MCとの交流(実際にその方とばったりお会いし、本当に驚きましたが、率直なコミュニケーションを聞き、本音でお付き合いしているのだとさらに驚きました)。
伺うほどに、その人脈の凄さに唖然としながら、セレブとは、彼女のような人を言うのだと思いました。
一方、ご本人は嫌いだとおっしゃいますが、同時通訳と翻訳の凄腕スキルを持つキャリアウーマンという側面もお持ちの方です。

その容姿にも驚きました。
実年齢は最初に伺っていましたが、どうしても見えない!(女性ですから明かしませんが、今も嘘?と思います)
また、私がインタビューするつもりでお会いしたのですが、「鈴木さんのビジョンは何?」「このインタビューをして、どうしたいの?」「あなたってどんな人?」などなど、私をまっすぐ見つめ、単刀直入な質問を数々するスーさんに、脇の下が汗でぐっしょりになりました。
けれど話していくうちに、 私を尊重し、理解しようという姿勢、少女のような好奇心、暖かさに魅了され、あっという間に引き込まれていきました。

魅力的でパワフル。まっすぐで、そして自己責任を全うしている女性。
Sueさんのおはなしを、幸せになりたい全ての方たちに読んでいただけたらと思います。

Sueさんの語り口をできるだけ、そのままお伝えします。
素敵な雰囲気が伝わることを願って。

 

軌跡その1 誕生~留学、アメリカへ

私は、東京の代々木生まれです。明治神宮、三宮の側でした。代々木と原宿の中間あたり。
一人娘で、父は事業をしていました。うちには、じいやがいました。
母はお嬢さま育ちで、病弱だった。年中、寝ている人で、家のなかは、結構暗かったかな。
私もカラダが弱かったの。幼稚園なんて知らなかった。小学校も半分くらいしか行ってないのよ。
結核もしたし、一年中、風邪をひいているような有様でした。当時の写真は、年中、お布団のなかで撮った写真ばかりで、首には大体白い包帯、巻いていました。中は、ネギよ。
(注:熱を下げるのに首にネギを巻く民間療法がありました)

でもね、家族と一緒に食事をしていて、食べ物をちらっと見ると、即座にそれが目の前に来るような、そんな世界観だった。

ある時にね、小学校から帰ってきたら、家に風呂桶がないの。
なんで?って、思ったら、父が、よその家の人にあげちゃったっていうの。
子沢山の家で、銭湯代が高くてお風呂には入れないって聞いて、じゃ、うちの風呂桶もって行けー。
そんなことが当たり前にありました。

それから、帰ってくると、知らない人がずら~っと並んでいて、夕飯時に、握り飯を振舞うということも結構ありました。私もね、家の下に浮浪者を囲ってましたよ(笑)。囲ってたわけではないけど、食事を提供してたのよ。で、彼、警察に捕まったんだけど、そのとき「嬢ちゃんありがとうね」と、言ってた。

今も続けている動物愛護は、小学校のころからしています。
原宿で外国系の団体が経営している動物愛護団体によく出入りしていました。

思春期のころは、ロカビリーが流行っていたのだけれど、私は決して行かせてもらうことはなかったわね。跳ねっ返りだったと思うけど、がんじがらめだった。

アメリカには高校3年18歳で行ったの。
13歳の頃から考え始めて、17歳の時に決めて、18歳で留学させていただきました。
簡単に言えば、単に日本にいたくなかったの。親の監視下で、ルールの中に生きていたくなかった。
で、母に頼みました。
「17年生きてきて飽き飽きした。私はお母さん達とずっと一緒に生きる自信がないわ。だって、つまんないんだもん。ここにいたくない。勉強をしにアメリカに行きたいからお金を出してください」って。
そうしたら、お金を出してくれた。後で聞いたら、乳母日傘で育った娘でしょ、言いだしたら聞かない。後に引くわけないから言う事を聞かないと家出するかもしれないと、思ったのですって。
で、母が父に「言いだしたら聞かない。首でもくくったらどうするんですか」と説得したのだそうです。
1ドル360円。大卒給料1万円の時代で、飛行機代は10万円以上していました。
当時、留学は大変で、事前に外務省の役人のインタビューがあったの。財産証明のためです。何かあった時にアメリカから日本に送り返す運賃がなかったらいけなかったのよ。で、最低100万円位必要だった。当時の大卒1年生の年収10年分です。
東京オリンピックの1964年。「飛行機は危ない」という母の一声で、8/2に横浜のサウスピアから、船で旅立ちました。「さようなら~」とドラマのごとくね。今も花柄のスーツの写真が残ってるわ。

 

留学~結婚~現在

Q,アメリカでホームシックになったりはしませんでした?

NO。一回もない。帰りたいと思ったこともなかった。
私は、嫌なことが嫌なの。
自分の気持ちに正直で、その時に感じたものが全て。

アメリカに行こうと思った以外は、こうなりたいとか、こうなろうなんて考えもしなかった。
世間なんて知らなくて、遊びにも行かなかった。

何かをしなければいけないということに陥ったことはないの。
お嬢さんと言われたらそれまでだけど、困るということを経験しなかった。
大学時代は、ルームメイトと共に過ごしました。
彼女は今も私の大切な友人よ。

けれど、母の具合が良くなくて、大学を中途で、日本に帰国しました。
そして、ご縁があって結婚しました。
それから9年後に離婚。
彼の問題で離婚しましたが、慰謝料をいただくどころか彼の再就職先も世話して離婚しました。

そして、次にご縁があったのが今の主人です。
ニューヨークで出会い、それ以降、ずっとニューヨークに住んでいます。

病気の話

大人になってからも多くの病を経験しました。
胃潰瘍もしたし、子宮内膜症もかかりました。月に3週間は、痛み止め漬け。強いモートロン。
イブ系で、炎症止めです。そして、卵巣がんになりました。
卵巣がんの前は、大腸に潰瘍がよくできていました。
大腸のポリープを取ったら、これが前癌症状で7つ取りました。
当時はね、マンハッタン中のトイレの場所を知っていたのですよ。
レストランで食事したらトイレに駆け込むような日々だったから。
あげたりさげたり、食中毒は年中。
ぐちゃぐちゃでした。
それから、声帯のガン。超進行性。

子供が9歳の時に卵巣がんと言われたの。
そうしたら、多くの人がやってきて、健康食品などを持ってきました。
半分の人はお金儲けのために持ってきて、半分の人は本当に心配して持ってきてくれた。
判断はつかなかったけど、色々と試してみたわ。

そして、勉強を始めました。
Dr,マロンジェルと言って自然療法医で、ペンシルベニアの山奥で神がかりみたいな治療をする方と、スコットガーソン医学博士、アーユルヴェーダ医学の資格も取得した人。この方たちに学び、治療を受けました。
私自身もアーユルヴェーダを勉強し、瞑想もしましたよ。
瞑想はね、最後はそれになる。あまりに体調悪いとね
当時、血圧上90下40。朝、起きられるわけないですよね。
低体温症、35.6度。一度低いのよ。ガン体質。体重45キロ。今は60キロ。私の身長は167センチ。
ニックネームはごぼう。顔中にメンチョウができていた。しみだらけ。髪の毛ボロボロ。すごかった。

同時通訳をしてて、とても緊張があって手から汗が玉のように出た。すごい緊張だったのだと思います。数日で40万円位の報酬でしたけど,お金なんてどうでも良いと、思いました。
お金の価値はわかるけど、ね。

母のことだけど、心臓の治療を長年していて、アメリカに呼んで治療しました。
アメリカの医者は「心臓は悪くありません。ただの喘息です」と言った。
当時、日本の医者は心臓病と言っていたけれどね。そして半年いて治療し、その後帰国しました。
それから薬がなくなったのだけど、体調が悪くて渡米できなかった。
そして、心臓麻痺で死にました。日本の医者は「ほら、心臓が悪いでしょ」と言っていた。
けれど、調べてもらったら、心臓は悪くなかったのです。

 

Sue Strobl流ベーシックライン

 

人には、抗えない宿命があるとSueさんの話を伺ってつくづくと思いました。
自分に課せられた宿命をどう味方につけ、人生を切り拓いていくか?
次回は、死と向き合ってきたSueさんの生きるベースの言葉の数々をお伝えしてまいります。

☑ 全てはタイミング

☑ 聖書

☑自分が一番

☑過去は生ゴミ!

☑  自己責任

☑ 這い上がれない人の特徴

☑ 坊主めくり

LINEで送る
Pocket